あなたがコーチ型ビジネスで起業・副業するために不可欠な究極の方法をお伝えしています。
今日の毎日新聞の一面「密着The経営者」に、トヨタ自動車の豊田章男社長の記事が載っていました。
豊田社長の発言から学ぶことが多く紹介させて頂きます。
「社長を続けられない、と思ったこともある」
「社長になるまで僕はいろんなことを知らされていなかったんじゃないかと思った」
祖父は創業者の豊田喜一郎、父は経団連会長も務めた豊田章一郎名誉会長ということもあり「入社以来、アンタッチャブルな存在だった」
「創業家のお坊ちゃま」というレッテルは常についてまわった、と言います。
「番頭のような人が欲しかった」
社長就任直後から、米ゼネラルモーチーズ(GM)との合弁工場の閉鎖決定(09年8月)、自動車レースF1からの撤退(同年11月)を決断。
「やめるとか、撤退とか、誰も喜ばない決断が多かった。文句は言われても、誰もよくやったとは言ってくれない」
ただ一方で、「責任を取ることと、決めること。これが社長の役割なんだと思い知らされたのは成果だった」
社長に就任する直前の09年5月、トヨタは71年ぶりの営業赤字転落を発表。
そんな中、米国での大規模リコール(回収・無償修理)問題が起きてしまいます。
豊田社長は10年2月24日、米議会の公聴会に出席し、それまで経験したことのない非難、叱責を浴びます。
豊田社長は「米国で直接、安全性を訴えるしかない」と自ら渡米を訴えましたが、社内やOBからは難色を示す声が出たといいます。
「あの時は僕をつぶすのが目的だとも思った。どうせなら、会社を守って、ずばっと死んだるわ、という感覚だった」
「間違いなくトヨタ存亡の機だった」
「でも、トップの仕事は会社を守ること。試練があったのはよかった。そこが出発点だった」
私も数多くの中小企業経営者の方にお会いしてきましたが、皆さん「孤独」だということをおっしゃいます。
重い決断を一人でしなければならないことが多いでしょうから、その心痛は筆舌しがたいものがあると感じています。
ましてや豊田社長は創業家の出身ですので、その苦悩はいかばかりかとお察しします。
「試練があったのはよかった」と言って見事に乗り切った手腕はさすがですね。
大きな試練に立ち向かった時に、どう判断をするかは、会社の命運を左右します。
豊田社長も「番頭のような人が欲しかった」と言っているように、どんなに優れた経営者でもコーチという存在がいたら、もっと心強いのではないかと感じます。
私のクライアントの社長さんでも、話しているだけで、気持ちの整理ができて良いと言ってくださいます。
一方、「景気が悪い」「社員が無能だから」と、他人や環境に責任を転嫁してしまう方がいます。
すべての責任は自分にあると思えないと、どんなことも解決は難しい。
私たちコーチは、そんな社長の苦悩を理解しつつ、質問によって自責に気づいてもらうことが必要です。
孤独な経営者の力に少しでもなれたら…と思わずにいられません。